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SSマシン引退「悔いのないプロレス人生を送れたと思います。ギギギッガガガッ」

SSマシン引退「悔いのないプロレス人生を送れたと思います。ギギギッガガガッ」

 

 

新日本プロレスの名選手スーパー・ストロング・マシンが引退を発表しました。

スーパーストロングマシンのために、長い間ご支援、ご声援を頂きまして、誠にありがとうございました。ファンのみなさまからの熱い応援を頂いて必死に続けて参りましたが、今のコンディションではリングで闘うことは出来ず、今回はセレモニーという形で引退というケジメをつけさせて頂くことになりました。現役生活の中では様々なことがありましたが、悔いのないプロレス人生を送れたと思います。ファンのみなさんの応援があったからこそ、これだけ長く現役生活がおくれたと思います。みなさん、長い間、本当にありがとうございました! ギギギッガガガッ」
新日本プロレスオフィシャルより

 

SSマシンって?

1984年に将軍KYワカマツに率いられる「マシン軍団」の覆面機械レスラー「ストロング・マシーン」としてアントニオ猪木戦でデビュー。

恵まれた体格にしっかりとしたレスリング技術もあり、安定した試合を見せていた数々の大物選手(スタイナー、ホークなど)からフォール勝ちを収めている。得意技の「魔神風車固め」は、相手の腕を折りかねない危険な技。相手の腕をチキンウイングに極めてハーフハッチスープレックスで投げるので、使い手にはテクニックも要求される高度な必殺技でした。

なんと同期には前田日明ジョージ高野。それぞれ癖のある選手ですが、前田とは前座でバチバチの試合をして会場を盛り上げ、「前田のライバル」といわれ、海外遠征中にはベルトを巻いたこともあった。新日本プロレスでもトップレスラーとして期待されていたが、とうとうシングルでベルトを巻くことはできなかった。

 

SSマシンといえば!名言「しょっぱい試合ですいません!」

SSマシンといえばやっぱり「おまえ、平田だろ!?」と「しょっぱい試合ですいません」。アメトーークでも取り上げられ、プロレスファンの間では有名な事件ですね。

1985年にマシン軍団と仲間割れし、マネージャー「将軍KYワカマツ」に襲撃されている藤波を救出したが、藤波から「おまえ、平田だろ!?」と正体を暴露される。この時マスクも脱いだため平田として正規軍入りかと思われたが、「スーパー・ストロング・マシーン」に改名はしたが正規軍とは距離をとった。

もう一つの事件は、1994年のSGタッグリーグの優勝決定戦で、蝶野と仲間割れをしてしまい負けてしまった試合後のコメント「しょっぱい試合ですいません」。当時、蝶野はヒールターンしたばかりで、新日内での自分の立ち位置についての不満やレスラーとしての自己の確立にとまどっているところでした。1匹狼状態だった2人がタッグを組むことになったのだが、もともとタッグ戦をやる気のなかった蝶野とはタッチ拒否などされ噛み合わない。それでも、試合を重ねることでお互いを認め合ってもいっていた。実力のある2人勝ち星を重ね、迎えたSGタッグリーグ優勝決定戦。SSマシンが蝶野の決め技「STF」を相手にしかけると、これに蝶野が激怒。マシンに攻撃し、ついにマシンもキレてしまい空中分解。蝶野が帰ってしまい、1人残されたマシンは為す術もなく負けてしまった。この試合後にマシンから出たのが「こんなしょっぱい試合ですいません」でした。

 

プロレスラーとして

この頃、ちょうど私がプロレスを見だした時期で、闘魂三銃士の中では蝶野が一番好きでした。SSマシンと組んではみたもののタッチ拒否や妨害行為をしていく蝶野のことをだんだん嫌いになっていったのですが、子供だった私は「SSマシン自体が使えないから、やられてるんじゃないか?」という蝶野好き補正をかけて見てもいました。なので、正直にいうとあまりSSマシン選手のことが当時は好きじゃなかったです。

闘魂三銃士から入った私は、蹴ったり飛んだりの派手なプロレスに見せられ、レスリング主体のプロレスがどうしても地味に見えてしまい、イマイチ好きになれなかったんです。

そんな三銃士でもケリを主体とした橋本。独特のムーブで異彩を放つ武藤に人気が集まるなか、キャラクターがイマイチで実力はあっても微妙な位置にいた蝶野。

ヒールターンしてなんとか自分のレスラー人生を切り開こうとしている中でのSSマシンと組んだSGタッグリーグ戦。普通に試合をしていてはコスチュームが黒に替わっただけで、また元の「蝶野」に戻ってしまう。いろいろな葛藤を抱えながら戦っていた時期だったんですね。

優勝はできなかったが、この試合のおかげで名言が生まれ、ファンの間では今でも語られる名勝負となった。

桜庭がPRIDEの入場でマシンのマスクを被っていたのが有名ですが、SSマシンのファンは同じ業界内にも多く、リング内外から愛されるマスクマンの一人になった。

引退セレモニーがあるのも新日本プロレスが功労者として認めているからだ。引退は寂しいが、後輩たちにその類まれなレスリング技術を継承していってほしい。

プロレスに限らずサッカーにしてもそうですが、プロのスポーツ選手が引退した後に食べていける道を団体や協会として作ってあげてほしいです。
ギギギッガガガッ